2018年05月21日

人はやっぱり人間

「人はやっぱり人間」

皆さんは教誨師と言う言葉をご存知でしょうか?
大杉連さんが最後に残した作品でもあるのできっと耳にされた方も多いのではないでしょうか。
調べてみると、宗教家(おもに僧侶)が刑務所の受刑者に対して、お説教をすることと、宗教家によらない教誨師と大きく分けて二つあるみたいである。

先週、愛知県の僧侶で教誨師をされている方の話を聞くことができた。
そもそも教誨とは、教えさとすことをいい、心を開いてもらうことを第一としているという。
そう言ったこともあるのか、この話の中では宗教を受刑者に無理やり教え込むのではなく、”宗教の自由を与える”と表現していた。
はじめはこの”宗教の自由”という意味がよく分からなかったが、話の最後によくわかった気がする。
それが最後に話されたこの話である。

ある日、刑務所内で教誨師の葬儀をしたときのことである。
この教誨師というのが、結構受刑者にも色々ズバッとと言う方だったらしく、ときどき受刑者とも言い合いになっていた方である。
そのような方の葬儀が行われたときのことである。
それまで難癖つけて、人を物としてしかみれなかった受刑者が、こういったと言う。
「和尚さん、やっぱり葬儀はやるべき。なぜなら、この人を最後に葬儀によって見送ることができて、本当に良かった・・」

お気づきでしょうか。本人も気づかないうちに”人”と言いているのです。
そう・・・。宗教の自由というのは押し付けるのではなく、自ずと本人も気づけばすでに変わっていることを指していたのである。
と同時にこの「人として見る、人として見送る」というのは今の世の中にも重く問われているようにも感じさせられました。

人はやっぱり人間なのですよね。こういった相手を思う気持ちも人間だからこそ生まれてくるものなんですよね。
人間対人間の関係が今は崩れているようにも感じます。

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Posted by 養円寺 at 22:01│Comments(0)
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